1954-10-08 第19回国会 参議院 文部委員会 閉会後第18号
そうして日政連関係議員は、極左政党、極左勢力だと言わんばかりのお言葉でありましたが、通念において日本国民は極左政党という、こういう極左という言葉を使つた場合にどういうふうにとるかという立場から、あなたがあの教育者を相手に、日教組は極左政党と何ら変らないものであると、こういうふうに述べられたことは、この言葉は今でもあなたは穏当であつた、それともやや説明が不十分であつた、自分の考えておつたことと聴衆に与
そうして日政連関係議員は、極左政党、極左勢力だと言わんばかりのお言葉でありましたが、通念において日本国民は極左政党という、こういう極左という言葉を使つた場合にどういうふうにとるかという立場から、あなたがあの教育者を相手に、日教組は極左政党と何ら変らないものであると、こういうふうに述べられたことは、この言葉は今でもあなたは穏当であつた、それともやや説明が不十分であつた、自分の考えておつたことと聴衆に与
この人の話では、これはお見舞に行つたわけでありますが、非常に災難であつた、自分は幸いにしてけがも何もなしに助かつたが、そういうお見舞はいらないので、なくなつた方に差上げてください、船長は十分よく指導をしてくれて——その宣教師は二等に乗つておられたのですがその中で何らパニツクはなかつた、こういうことを言つております。
その後法務大臣から、吉田総理に会つたとき、非常にあの発言について遺憾の意を表せられたということでありまして、またその後に書面で、あれは用語不適当で誠に遺憾であつた、自分の真意は決して既存の法律を無視したり、また検察官を非難するような意思は毛頭なかつたのだということをまあ釈明されたあいさつの書面をいただかれたということでありまして、そうしてその後二、三日たつて、ただいま仰せのように、八月二十八日の全国
あの事件が済みましてから、各院の院長、庶務課長あるいは医務課長等にも集まつてもらいまして、いろいろとあのような騒ぎを起しましたときの事情、いろいろないきさつ、院内の事情、それから、あの問題が一応結着してその後の患者の動向——患者の方にも、あの騒ぎが行き過ぎであつた、自分たちの主張したいことを強く開陳したということは、多くの患者が大体自分たちの意思であつたというふうには考えているようでありますけれども
えるような国にしまいという配慮、そこに行き過ぎがあつて、アメリカ自体が、その行き過ぎの政策を日本に向つて、今日率直に間違いであつたと言わざるを得なかつた、ニクソンなどはその一人でありますが、そういうところにこの警察制度の、過度の警察単位の分化が現われた、こういうふうに申したのでありまして、日本を弱くことが反対だとか間違つたとか、そういう簡単な子供らしい言葉で言つているのではないのでありまして、日本が、誤つた、自分
それからもう一つそういう機運というものは、各会社が実際上経理的に行き詰まつてどうにもならなくなつた、自分たちだけではやつて行けないという気持が起つたときに、初めて無理なく行い得るものであります。従つてそういう情勢の発生ということが、やはりそういうものを促進する前提じやないか、かように考えるのでございます。
ですから満洲から持つて行つた自分の防寒具で寝る。昼間は着て、夜になるとそれを上にかけたり下に敷いたりして寝る、そんな程度でした。 住宅は南京虫が大分おりまして、これはソ連のほうでは大分予防に努めておりましたが、やはり罪人は大して一生懸命にやらないのですね。ですから南京虫が相当おりました。風は大体風呂に入るたびに滅菌をしますので、余り風はおりませんでしたが、南京虫には相当困りました。
か何かに金を包んだようなものをもらつたんだが、自分はもらつて帰らなかつた、そうしてそのときに、保全経済会のどなたかということははつきり申しませんが、どなたかが、お前一人ぐらいが反対したつてだめなんだということをいつて、侮辱されたようで自分はおもしろくなかつた、不愉快だつた、そういうことを考えておりましたところが、たまたま四国に出張いたしましたときに、四国の税務署で保全経済会の脱税問題を取上げておつた、自分
○古屋(貞)委員 なお藤原辰次というのもやはり被疑者として調べられたのでございますが、それの私どもの調べによりますと、それも自分の隣りで調べられた辻信太郎も頭をたたかれておつた、自分も暴行を受けた、こういうようなことを言つておるのでありますが、今の検察庁でこの事実の調査をおさせになりましたのはどなたであつて、全然これに関係のなかつた第三者がお調べになつたかどうか、その点をお伺いいたします。
いつかの委員会でもお話申上げましたのも、単に自分の見たところとか、意見を申上げまして、どつかの地方で違つた自分の感想を言われたことはあつたようでありますが、そういうことはございません。
○瀬口証人 恥ずべきということは、当時仕事をしておつた自分として、あの困難な時代に遂に強く自分の信念を守り通せなかつた、そのことを恥ずべきと言つたのであつて、共産党に対して何か悪いことをした、いわゆる今日CIDやそのほかの手先になつて働いている人たちのようなことをやつた、そういう意味ではありません。ですから私はその後のことを見ていただけばいいのです。
ところがハトロン紙の破れ目にすずめが首をつつ込んで死んでおつた、自分も下痢をした、こういう内容のものでありまして、そうして刑務所当局に調査を頼んでも取上げてくれない、裁判長に要求しても調査しようとしない。これは法務大臣の所管事項だと言つて、裁判長もいわば逃げておる、こういうような内容である。
佐賀県知事の話では全く保安隊が活躍してくれたので助かつた、自分のほうではどうも手を挙げざるを得ないような状態であつて、非常に助つたというような話をしておりました。
○山田節男君 今の石川委員の質問に関連してですが、今東京都の建設局長は、この問題については飽くまで受身であつた、自分で好んでやつたのじやないということは、これは東京都の意思としても、先ほど来言われたように、公園はあすこに存置したいという意思があるということを表明されたわけでありますが、そういうことはこの所管の東京都が受身でありながら、審議会に諮問付託したということは、そこに何か政治的な圧力があつたということに
この中の一人が重傷になり、一人は七項症になつた、自分は一項症でこういう手厚い年金をもらうけれども、一本のタバコをのみ合つた部下なり戦友なりが七項症で捨てられるということは見るにしのびない。願わくは政府は重症者の年金を削減してもいいから、一率に少しでもいいから七項症以下の戦友にも恵みをわけてもらいたい。こういう深刻な話を聞いたのである。
(拍手)博徒の親分などは、たいてい警察の犬であつた、自分だけが免れて仲間を警察に売ることを業としていたと申しても過言ではなかつたのであります。犯罪がなくなれば、警察の成績を上げるためには、あえて犯罪を製造することをもいたしたのであります。
○左藤義詮君 只今宮城さんの御質問の中に、アルバイトをしておつた自分の愛児がビラを貼つておつてピストルで射たれた、こういうお話、実は一昨日宮城さんからお話を伺つて私は驚いたのであります。
隣の子供は百円持つて行つた、自分は五十円しか持つて行かない、また一銭も持つて行けないというようなことになりますと、デリケートな子供の心理に及ぼす影響は非常に大きいのであります。私は悪い面だけを強調するわけではございませんけれども、少くとも政府としてはそのくらいの親心は十分持つてやつていただかないと、むしろ教育の目的に反することになるということを私ははつきり申し上げておきたいと思います。
○小西(英)委員 今の政務次官のお話から行くと、われわれ非常に喜んでおつた新聞紙上の報道とまつたくかけ離れておりまして、この間の遺族大会にも、さような一部の人の報告で遺族の者が感きわまつて非常に喜んでおつた。自分の子供、自分の兄弟が、南の島に、あるいは北の島にそのままさらされている。
私の知つております警察予備隊の下士級にあたる人物も、先般私に就職を依頼して来て、その事情を聞きましたところが、自分は警察予備隊をやめることになつた、自分の同志七十六名が連判をしてやめることを決定した、かようなことを申して参りました。